ダイエットは月平均値で管理しよう♪

昨年の6月1日に、朝食をキホン納豆と味噌汁のみ(ごはんなし)にして、「炭水化物の摂取は昼食のみ」という「ゆる糖質制限食ダイエット」を開始して、先月末でちょうど1年経った。(晩メシは若いころからごはんなし)

ダイエット開始した日を覚えていたわけではないが、Facebook が毎日過去の当日の投稿を教えてくれる「過去のこの日」というのがあって、それで「あぁ1年か.....」と気づいた次第である。

  ⇒ ダイエット宣言日のインスタ投稿

 

一年も前のことで記憶は定かではないのだがw、最初の数ヶ月はダイエットの成果が殆ど現れず、4ヶ月後の10月から体重と体脂肪の記録し始めたら、その翌月あたりから体重も体脂肪も減り始めた.....ような気がする。(要は記録を取っていなかったので、よくわからないというだけの話であるw)

記録をつけるとダイエットの成功度が高まる......というのはよく言われていることである。

  ⇒ ダイエット 記録をつける - Google 検索

 

その結果が以下のグラフである。

まぁ、この7ヶ月については実に素晴らしい成果が見て取れる。

ただこれは、実績を月平均値に均したしたことにより、成果が視覚的にも数値的にも実感できるようになった.....というところがミソなのである。

 

ただ、記録をつけただけではそれは単なる数字の羅列であり、またその日の状況により数値は大きくぶれるので、成果がを実感することができず、モチベーションも上がらない。

 

たとえば以下の左の表は素のデータであり、単なる数値の羅列。

これでは視覚的になんら訴えるものがない。

それでも右の表のように、条件付き書式のカラースケールを活用すると、「おぉ!結構頑張ってるな」的な実感が湧いてくる。

 ただこれだと、視覚的には成果を実感できるものの、数値的な満足が得られない。

要は「◯キロのダイエットに成功!」的なやつが欲しいのだが、体重は例えばチョット水分を摂り過ぎたり数日便秘気味だったり、逆にちょっと脱水気味だったりするだけで1キロ以上ブレてしまうので、急にリバンド的な数値がでると、気分が萎えてしまうのだ。(上の表でいえば、5/12とか5/26)

グラフにしてもこんな感じでイマイチ実感が湧かない。

そこで月平均値の登場である。

月平均値であれば「◯ヶ月で◯キロのダイエットが成功した!」と大きな声で言えるのである。

で、上のデータを月平均値にした表が以下のものである。

 

これならはっきりと7ヶ月で「体重3.4キロ、体脂肪2.7キロのダイエットに成功!」と書ける♪

もう一回冒頭に上げた、上の表をグラフにしたものを再掲してひとり悦に入ってみることにする(笑)

因みに、5月体重が急激に減り体脂肪がそれほど減っていないのは、脂肪でなく筋肉が減少した......訳でなく、体重は主に休日の夕方、風呂上がりに計っているのだが、気候が良くなったのに合わせてビールを美味しく頂くために、汗たくさんかいて水分極力我慢して、長風呂して......って、要は脱水気味の状態で計っていることが多いためである。

したがって5月の体重はややインチキであるのだが、ま、それでも頑張りが視覚的に確認できるのは嬉しいものである。

 

ランニングの方も月150キロ程度と、全盛期の半分ではあるもののコンスタントに走れている。(5月はGWのおかげで久しぶりに200踏めた)(6月は4日現在)

こんな感じでマッタリとダイエットに励み、今年の目標である年末時点(というか、できれば12月の月平均)で体脂肪グロス9kgはぜひ達成させたいものである。

 

【読書記録】死んでいない者(滝口悠生)

死んでいない者

死んでいない者

 Kindle版 ⇒ 死んでいない者 (文春e-book)


第154回芥川賞受賞作......前にご紹介した「異類婚姻譚」と同時受賞した作品である。
tamu2822.hatenablog.com

通夜に集まる親戚たちの一夜を書き綴った、チャレンジングで興味深い作品だが、はっきり言って面白くない(笑)

まず登場人物が多い割にキャラが全く立っていないため、最後まで誰が誰だかよくわからない。

ネットのレビューなどを見てみると、多くの方が読みながら家系図を作ったようで、私も途中同じことを考えた。

しかしながら、それによってこの小説をより深く味わえるような気も全くしなかったので、それはやめた。

もしかしたら映画で映像を通して作品を観たのなら、面白いものになったのかもしれないが、テクストからだけでは私には何も感じ取ることができなかった。

そもそも芥川賞は、このようなあまり一般受けしないチャレンジングな小説を受賞させることが、ままある。

大衆受けしなくても芸術性さえ高ければそれが純文学だと言うのなら、そんな代物を芥川賞の名前で大衆に売りつけてしまう......という構図はちょっと違和感がある。

「もしそれが大衆受けする性格のものでなく商業的に成り立たないものであっても、それが芸術的に価値のあるものであるなら、それはパトロン(≒スポンサー)が支えるべきである」というのが私の予てよりの持論であるが、ニッポンの出版業界は、それが最も成り立っていない芸術分野なのだろう。

ま、この小説に芸術的価値があるとは、全く思わないのだが(笑)

【読書記録】可愛い世の中(山崎ナオコーラ)

面白かったり興味深かったりする小説に関してブログを書くのは、とても楽しい作業だ。

その反面、そうではない小説について書くのは、とても気が重たい。

ならば書かなければ良い......というのが常識的な考え方なのだろうが、今年は「100冊読んで全てブログに読書記録を残す」というノルマを自分に課してしまっているので、そこは致し方ない。

そもそもこのブログで「本を読んで思ったこと」を記事にするにあたって、素人がプロの作品に対して「評価」するなんて、非常におこがましいのではないか?という思いがいつもある。

そこら辺りの躊躇が、この一連の記事が「書評」でも「感想」でもなく「読書記録」という「逃げ」の表現になっている所以でもある。

とはいえ実際は結構好き勝手なことを書き綴っている自覚はあるのだが、それでも期待している作家が迷走しているのを見るのは結構辛いものがある。

可愛い世の中

可愛い世の中

山﨑ナオコーラのこの作品も、そんな思いにさせられてしまう一冊だ。

「ここ最近の迷走」と言えるほど全ての新作を読んでいる訳ではないが、「昼田とハッコウ」「太陽がもったいない」「ボーイミーツガールの極端なもの」に続けてこれを読んだ上での感想。

「ぶす」で面倒くさい「私」と、稼ぎは悪いけど人の良い婚約者(夫)......その関係性に於いて、作者の実生活ををも連想させとともに、近著に(直接的でなくとも)共通したワールドがある。

一言でいえば「確信犯的な面倒くささをカッコいいと思っちゃってる面倒くささ」が辛い.....というか、なかり食傷気味である。

また(本作から見て)前作の「ボーイミーツガールの極端なもの」と共通したキーワードとして「多様性」があるのだが、「多様性」の本質的な意味を明らかに履違えている。

ここまでくると「編集」の責任も重いと思うのだが、それなりにファンがいる現状を踏まえると、編集者たちはこれを是としているのだろうか?

彼女が今後大きな賞を取ったり、作家として大成していくためには、もうひと皮ふた皮剥けなければと思うのだが.......

【読書記録】朝が来る(辻村深月)

朝が来る

朝が来る

キンドル版 ⇒ 朝が来る (文春e-book)

不妊治療と特別養子縁組を通じて、親子関係(と夫婦関係)をテーマに描き上げた、辻村深月の意欲作。

「書くことに意義があると感じた」テーマを、チャレンジングに書いたことは大いに評価できるし、いま大いにアブラのっている若手作家だけに、期待を裏切らない作品に仕上がっている。

ただ彼女の実力の割にイマイチ物足りなさを感じるのは、いかんせん若さと経験不足によるものなのだろうか。

例えば佐都子と朝斗、ひかりと朝斗という両親子の関係性に比べ、もう一つ重要な筈であるひかりとその母親との関係性にリアルさが感じられない点。

ひかりの母親は名前さえ与えられず、ステレオタイプな毒親としてしか描かれるのみである。

そこに厚みを与えることにより、更にひかりの人物像にも深み出てくる筈なのだが、年齢的にその視点に思い至ったり、そこを慮ったりすることは難しいのかもしれない。

また感動的なエンディングについても、例えば映像化された映画などであればこれもまた効果的なのだろうが、小説としては(彼女の作風を考えると)エピローグを加えるなどしてもう少し丁寧に書いた方が、完成度(というか納得感)が高まるだろう。

個人的にとても期待している作家なので、少し辛口になってしまったが、次作がまた楽しみでもある。

【読書記録】帰蝶(諸田玲子)

帰蝶(きちょう)

帰蝶(きちょう)

斎藤道三の娘で、美濃から嫁いできたことから濃姫ともよばれる織田信長の正妻、帰蝶。

戦国時代の女性としてつとに有名な存在であるが、残された記録は極めて少なく、その生涯については早世説、早期離縁説を含め諸説がある。

したがってこの小説の主人公、帰蝶に関する記述は大半はフィクションということになる。

しかしながら歴史小説は、「史実と史実の隙間に作家が創り出した物語」を楽しむものであると私は思っている。

そういった意味において、諸田玲子が大胆に創り出したこの物語はなかなか興味深い。

彼女は物語の与条件として以下の仮説を立てて(もしくは諸説のうちの一つを選択して)いる。

  • 帰蝶はとある理由により表に出なくなるが、裏で織田家の奥を仕切り、本能寺の変以降も生き続ける。
  • 信長の嫡男信忠の生母は帰蝶の異母妹である。(信忠の母は一般的には生駒吉乃とされているが、美濃に縁のある女性であったとの説もある)
  • 禁裏御蔵職をあずかる豪商で、多くの戦国大名との交友があったとされる立入宗継が、帰蝶と接点があり、お互い密かに惹かれ合う存在であった。

以上、あくまで物語の与条件であり、ネタバレではない。

あとは読んでのお楽しみとさせて頂くが、帰蝶を中心とした織田家における美濃一族の各人各様の生き様は、なかなか読み応えがある。

ただ惜しむらくは、立入宗継とのラブロマンスめいたあれこれが、却って帰蝶の魅力的な人物像をスポイルしているような気がしてならない。

そこら辺をすべて取っ払った方が、諸田氏の筆力をもってすれば、骨太のもっと良い小説なったにちがいない。

ただこういうのが好きな読者も一定数以上いるだろうから、エンタテイメント小説的には仕方ないことなのだろう。

個人的には少々残念である。

【読書記録】異類婚姻譚(本谷有希子)

異類婚姻譚

異類婚姻譚

キンドル版 ⇒ 異類婚姻譚

芥川賞受賞作であるこの小説(表題作)の素晴らしさを、ネタバレなしに表現するのは難しそうだが、なんとか頑張ってみる。

異類婚姻譚(いるいこんいんたん)とは、人間と違った種類の存在と人間とが結婚する説話の総称。

異類婚姻譚 - Wikipedia

とのことだが、本作は「夫婦は一緒に暮らしているとだんだん似てくる」という話から始まるので、最初は少し違和感を覚える。

しかし粗相の治らない猫を山に捨てに行くのを手伝うエピソードなどを含め、徐々に独特の不気味さ・不穏さが増していき、やがて「異類婚姻」の意味も判明。

その不気味さ・不穏さがピークを迎える時点で、驚愕の......というかある意味ぶっ飛んだエンディングを迎えるのだが、この最後の2ページの日本語の美しさと小説としての完成度には、ただただ感服するばかりである。

最後「ホント良かったね」......って、つい安堵してしまうのだが、冷静に考えると「をぃ、安堵して良いのか?w」と我に返ってしまう、そんな小説的面白さに溢れた作品だ。


まだ36歳と若い割に多彩な経歴を拝見すると、マルチな才能に溢れる反面、少々飽きっぽいところがあるのかも......と思わせるところもあるが、ぜひ末永く面白い小説を書き続けて欲しいと願う。

スマホだって「やればできる子」

一昨日、たまたま以下の記事が目に止まった。


  ⇒  保有端末のまとめ - Chikirinの日記


要約するとちきりん女史の主張は以下のとおり。

  • パソコンは「生産端末」、スマホタブレットは「消費端末」である。
  • 「生産端末」は「稼ぐための端末」であり、これでしか、仕事や調査や勉強をしたり、コンテンツを生みだすことはできない。
  • 最近は個人だけでなく、家庭ごとまとめて「消費端末しか使わない家庭」と「消費端末だけでなく、親も子も生産端末を使ってる家庭」に分離しつつあり、前者はいずれ淘汰される。

言わんとしていることは分からなくもないが、要はインプット・アウトプットにおけるデバイスの機能と役割の問題であり、かなり乱暴な仮説だと言わざるをえない。

女史はこの記事の中で、次のように書いている。

生産と消費の端末は、キーボードの有無や処理能力の差だけではなく、マルチタスク・マルチウィンドウが設計前提となっているか否かという根本的な違いから、URLがデフォルトで表示されるか否かといった細かい違いまで(今の時点ではまだ)まったくの別物です。


いやいや、今のスマホ、ちょっとして工夫と少しの割り切りで、でパソコンに遜色ない使い方ができるんだぜ!......という話である。


まず、女史や私のように私のように、キーボードで育った人間にとって、正確かつ速い入力のためにはキーボードの有無は重要だろう。

しかしながら今の若い人たちは驚くようなスピードでケータイ入力とかフリック入力を駆使するので、そこは論点ににならないと思われる。

しかしながら、我々おじさん・おばさんにとって「そこ」は死活問題なので、ここは素直にキーボードの力を借りることにする。

私が購入した時点で2,997円の安価なもので、入力感もカチャカチャと値段相応の安っぽいものであるが、入力の速度や入力ストレスのなさに関しては、先日購入した11インチのサブノートを凌ぐくらいだ。

また重量も197g(電池除)と非常に軽いので、かばんに入れて持ち歩いても全然苦にならない。

前述のサブノートは1.2キロ近くあり、気軽に連れ回せる重さではない。

ちょっとした空き時間に文章を書く......という目的であれば、このキーボードをカバンに、お気に入りのエディタをスマホに入れておけば、重たいノートPCを持ち歩く必要はなくなるる。

因みに、私のお気に入りのエディタは「Jota+ (Text Editor) - Google Play の Android アプリ」.....これ「イオタ・プラス」と読む。

play.google.com

基本機能はフリーだが、テキストデータをクラウド(私は Google Drive を利用)で共有したいので、有料版をレジストしている。

これでかなりの長文でもストレスなく入力することが出来る。


あと、ちきりん女史は「マルチタスク・マルチウインド」を問題にしているが、現状 Androido では「マルチウインド」は実現していないものの、「マルチタスク」標準装備である。

下の右端のボタンを「マルチタスク・ボタン」と呼ぶのを知らないのであろうか?

先ほどのキーボードをBluetooth接続すれば、PC同様「Alt+Tab」でウインドウの切り替えができるので、めっちゃ便利である。

そもそもマルチウィンドウなんて27インチくらいのモニタ使って初めて役に立つのであって、かの女史のエントリの中でデスクトップ機は所有しておらずラップトップPC(これ死語ぢゃね?)しか所有していないと記しているので、実質的には「マルチタスク」は使っていても「マルチウィンドウ」は使いこなしていないものと推定できる。

ま、彼女が批判されやすいのは、ここらへんの「よく調べもしないで上から目線で断定しちゃう」「軽さ」故だろう (´・ω・`)

だからタブレットの教育アプリを使って勉強することは可能でも、

  • 動画で公開されてる大学講義を聴きながら、
  • 気になる点はその場でメモに残し、
  • 必要に応じてスプレッドシートで計算もするし、
  • 分からない概念が出てきたら別のウィンドウでググって調べ
  • ググって見つけた資料を SNSで他の受講生にシェア、同時に自分も他の人から回ってきた資料へのリンクを開く

みたいな「生産型の勉強」をするには、まだまだパソコンが必要なはず。

女史はこうも書いている。

定年近い中年リーマンは、今更そんな意識高い系()な真似は出来ないが

  • ニコ動で贔屓球団のプロ野球中継視聴しながら
  • 平行して Twitter で応援ツイートして
  • 必要に応じて Googole Drive の スプレッドシートで成績データ分析して
  • 必要な過去データがあれば別ウインドでググッて調べ
  • そのデータや好プレーのスクリーンショットSNSで他のファンにシェア、同時に自分も他の人から回ってきた資料へのリンクを開く

みたいな使いこなしは、スマホでも十分可能なのである。
    :
    :
    :
    :
    :
    :
をぃ.......こっち見んな ヽ(・∀・)ノ