【読書記録】かなわない(植本一子).......作者の「表現したい」「書きたい」欲求に圧倒される

かなわない

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育児日記『働けECD』から5年―写真家・植本一子が書かずにはいられなかった家族、母、生きづらさ、愛。すべての期待を裏切る一大叙情詩。
かなわない | 植本一子 | 本 | Amazon.co.jp より

大半は彼女のブログ「働けECD」からの転載だが、いわゆるウェブライターの書く文章とは一線を画した、美しいテクストであり、それは既にエッセイを超え「日記文学」とさえ言えるだろう。

ただしそこに書かれているものは殆どの人間の共感は得られないだろうし、正しいか?正しくないか?と問われれば、誰もが正しくないと即答するだろう。

しかしながら、冷静に読み返すと、子供に対してはネグレクトという程ことではなく、やや強めに子供に当ってしまうことあるレベルだし、彼女の婚外恋愛とか、母親との確執についても、よくあると言えばよくある話である。

ただ、その書き込みっぷりというか、思いの強さに、しばしは読む側は困惑させられる。

そのことをもって植本一子をメンヘラだ、子供やECD(彼女の夫、ヒップホップミュージシャン。作中では「石田さん」)が可愛そうだ、人でなし.....と言って切り捨てるのは簡単なことだ。

でもそれは表現者としての彼女の評価にはなんらマイナスの影響を与えないし、このヒリヒリ焼けつくような、彼女の「表現したい」「書きたい」欲求にはただただ圧倒されるばかりである。

彼女の本職は写真家であり、家族写真やミュジシャンのライブ写真を得意分野としている。 特に本人がライフワークとまで語っている「一般家庭の記念撮影」は、なかなか素敵である。

一方、彼女のかくテクストには、また質の違う凄みや迫力がある。 もしかしたら(本人は不本意かも知れないが)物書きとしてのほうが大成するかもしれないとさえ思わせる。

そんな中、「あとがき」の前の「誰そ彼」の節はやや異質だ......「彼」を壊したのは「わたし」......意識的なのか、無意識なのかは分からないがそれを認めない。 一言で言えば、他の文章は「みっともなくてもカッコいい」のだけれど、この節だけは「カッコつけててみっともない」のである。

そこには「石田さん」とか「彼」とかに対する配慮があるのかもしれないし、はたまた彼女の無意識の自己防衛なのかもしれないが、いずれにしても、この一節だけは言い訳がましさが前に出て植本一子らしくないし。

因みにこの節はECDにもダメ出しされたと、インタビューで本人が述べていた。

そこらへんも含めて「敵わない」であり「叶わない」なのだろうが......

それにしてもECDはいい人過ぎる...... もっとエキセントリックな人だと思っていたが、妻・植本一子に対する愛は深いし、また知性・教養あふれる人間であることがよく判る。 私とほぼ同世代だけど、全くを持って「敵わない」と思った。

この本読んだ後にこれ観るとマヂ泣ける (´・ω・`)


まだ夢の中(VIDEO EDIT) ECD