【読書記録】異類婚姻譚(本谷有希子)

異類婚姻譚

異類婚姻譚

キンドル版 ⇒ 異類婚姻譚

芥川賞受賞作であるこの小説(表題作)の素晴らしさを、ネタバレなしに表現するのは難しそうだが、なんとか頑張ってみる。

異類婚姻譚(いるいこんいんたん)とは、人間と違った種類の存在と人間とが結婚する説話の総称。

異類婚姻譚 - Wikipedia

とのことだが、本作は「夫婦は一緒に暮らしているとだんだん似てくる」という話から始まるので、最初は少し違和感を覚える。

しかし粗相の治らない猫を山に捨てに行くのを手伝うエピソードなどを含め、徐々に独特の不気味さ・不穏さが増していき、やがて「異類婚姻」の意味も判明。

その不気味さ・不穏さがピークを迎える時点で、驚愕の......というかある意味ぶっ飛んだエンディングを迎えるのだが、この最後の2ページの日本語の美しさと小説としての完成度には、ただただ感服するばかりである。

最後「ホント良かったね」......って、つい安堵してしまうのだが、冷静に考えると「をぃ、安堵して良いのか?w」と我に返ってしまう、そんな小説的面白さに溢れた作品だ。


まだ36歳と若い割に多彩な経歴を拝見すると、マルチな才能に溢れる反面、少々飽きっぽいところがあるのかも......と思わせるところもあるが、ぜひ末永く面白い小説を書き続けて欲しいと願う。

スマホだって「やればできる子」

一昨日、たまたま以下の記事が目に止まった。


  ⇒  保有端末のまとめ - Chikirinの日記


要約するとちきりん女史の主張は以下のとおり。

  • パソコンは「生産端末」、スマホタブレットは「消費端末」である。
  • 「生産端末」は「稼ぐための端末」であり、これでしか、仕事や調査や勉強をしたり、コンテンツを生みだすことはできない。
  • 最近は個人だけでなく、家庭ごとまとめて「消費端末しか使わない家庭」と「消費端末だけでなく、親も子も生産端末を使ってる家庭」に分離しつつあり、前者はいずれ淘汰される。

言わんとしていることは分からなくもないが、要はインプット・アウトプットにおけるデバイスの機能と役割の問題であり、かなり乱暴な仮説だと言わざるをえない。

女史はこの記事の中で、次のように書いている。

生産と消費の端末は、キーボードの有無や処理能力の差だけではなく、マルチタスク・マルチウィンドウが設計前提となっているか否かという根本的な違いから、URLがデフォルトで表示されるか否かといった細かい違いまで(今の時点ではまだ)まったくの別物です。


いやいや、今のスマホ、ちょっとして工夫と少しの割り切りで、でパソコンに遜色ない使い方ができるんだぜ!......という話である。


まず、女史や私のように私のように、キーボードで育った人間にとって、正確かつ速い入力のためにはキーボードの有無は重要だろう。

しかしながら今の若い人たちは驚くようなスピードでケータイ入力とかフリック入力を駆使するので、そこは論点ににならないと思われる。

しかしながら、我々おじさん・おばさんにとって「そこ」は死活問題なので、ここは素直にキーボードの力を借りることにする。

私が購入した時点で2,997円の安価なもので、入力感もカチャカチャと値段相応の安っぽいものであるが、入力の速度や入力ストレスのなさに関しては、先日購入した11インチのサブノートを凌ぐくらいだ。

また重量も197g(電池除)と非常に軽いので、かばんに入れて持ち歩いても全然苦にならない。

前述のサブノートは1.2キロ近くあり、気軽に連れ回せる重さではない。

ちょっとした空き時間に文章を書く......という目的であれば、このキーボードをカバンに、お気に入りのエディタをスマホに入れておけば、重たいノートPCを持ち歩く必要はなくなるる。

因みに、私のお気に入りのエディタは「Jota+ (Text Editor) - Google Play の Android アプリ」.....これ「イオタ・プラス」と読む。

play.google.com

基本機能はフリーだが、テキストデータをクラウド(私は Google Drive を利用)で共有したいので、有料版をレジストしている。

これでかなりの長文でもストレスなく入力することが出来る。


あと、ちきりん女史は「マルチタスク・マルチウインド」を問題にしているが、現状 Androido では「マルチウインド」は実現していないものの、「マルチタスク」標準装備である。

下の右端のボタンを「マルチタスク・ボタン」と呼ぶのを知らないのであろうか?

先ほどのキーボードをBluetooth接続すれば、PC同様「Alt+Tab」でウインドウの切り替えができるので、めっちゃ便利である。

そもそもマルチウィンドウなんて27インチくらいのモニタ使って初めて役に立つのであって、かの女史のエントリの中でデスクトップ機は所有しておらずラップトップPC(これ死語ぢゃね?)しか所有していないと記しているので、実質的には「マルチタスク」は使っていても「マルチウィンドウ」は使いこなしていないものと推定できる。

ま、彼女が批判されやすいのは、ここらへんの「よく調べもしないで上から目線で断定しちゃう」「軽さ」故だろう (´・ω・`)

だからタブレットの教育アプリを使って勉強することは可能でも、

  • 動画で公開されてる大学講義を聴きながら、
  • 気になる点はその場でメモに残し、
  • 必要に応じてスプレッドシートで計算もするし、
  • 分からない概念が出てきたら別のウィンドウでググって調べ
  • ググって見つけた資料を SNSで他の受講生にシェア、同時に自分も他の人から回ってきた資料へのリンクを開く

みたいな「生産型の勉強」をするには、まだまだパソコンが必要なはず。

女史はこうも書いている。

定年近い中年リーマンは、今更そんな意識高い系()な真似は出来ないが

  • ニコ動で贔屓球団のプロ野球中継視聴しながら
  • 平行して Twitter で応援ツイートして
  • 必要に応じて Googole Drive の スプレッドシートで成績データ分析して
  • 必要な過去データがあれば別ウインドでググッて調べ
  • そのデータや好プレーのスクリーンショットSNSで他のファンにシェア、同時に自分も他の人から回ってきた資料へのリンクを開く

みたいな使いこなしは、スマホでも十分可能なのである。
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をぃ.......こっち見んな ヽ(・∀・)ノ  

【読書記録】薄情(絲山秋子)

薄情

薄情

絲山秋子の新作。

前作の「離陸」はエンタテイメントに寄った氏の新境地を拓く意欲作だったが、本作は絲山ワールドど真ん中の作風。

舞台は、氏が居を構え、また氏の傑作(だと勝手に思っている)「ばかもの」と同じ群馬県高崎市

この東京から近い地方都市に「帰ってきたもの」「住み続けているもの」そして「東京からやって来たもの」の、それぞれ織りなすドラマが淡々と綴られる。

途中、主人公の身も蓋もない失恋が描かれるところが「ばかもの」と似ていて興味深かったが、かの作が終盤に向け感動的なフィナーレを迎えるのに比べ、本作ではさらに後味の悪い事件が起こる。

その事件が「住み続けるもの」と「余所者」の違いを浮き彫りにして、比較的静かに物語は終わる。

地味な作品だが、絲山秋子らしい良い小説だと思う。


それはそうと、この本の題名、何が「薄情」なのだろう?

特定の登場人物なのか、はたまた別の何かが薄情なのか......いろいろ考えたけど、良くわからない。

きっと作者なりの意図はあるのだろうが(当たり前だw)、私の読解力ではそれを汲み取ったり想像を巡らす事ができず、少々悔しい思いをした。

【読書記録】みんな彗星をみていた(星野博美)

  Kindle版 ⇒ みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記 (文春e-book)

私の読書は、基本的には小説に限定される。

今起こっている世の中の大抵のことは、新聞読んでいればある程度の解説付きで読むことができるし、各紙毎の偏りはブログなどの情報で十分に補正できる。

ビジネス書も、若い頃に読んだD・カーネギーやスティーブン・R・コヴィーの焼き直しばかりだし、50も半ばになり先の見えた中年リーマンが読むほど価値のあるものとは思えない。

もちろん、仕事上必要な専門知識は、その都度専門書等に求めたりもするが、それは私の中では「読書」ではない。

そういう訳で、私が小説以外の本を読むのは、その時に本当に興味をもった(または気の向いた)ものだけに限定されるのだが、例外的に無条件に手を出すのが星野博美の書くノンフィクションだ。

その著作の全てを読んだわけではないが、「コンニャク屋漂流記」、「転がる香港に苔は生えない」、「島へ免許を取りに行く」など、いずれも荒削りながら骨太の素敵な作品だ。

そんな彼女が今回取り組んだのは、400年以上前の日本、主にスペインから来た宣教師と日本人切支丹たちの物語、テーマはズバリ「殉教」だ。

氏にしては珍しいこの「殉教」というネガティブなテーマを、どのように料理していくのか、興味をもって読み進めた。

序盤はリュート(主に中世からバロック期にかけてヨーロッパで用いられた古楽器群の総称。 因みに表紙の女性が弾いているのはリュートではなくビウエラ。)を巡るあれやこれやで、ソフトな導入となるが、如何せんあの時代の切支丹たちを書くにということは、必然的に陰湿なものとならざるをえず、コレジャナイ感はすごい。

しかしながら、終盤スペインに出張るあたりからは、いつものズシズシと逞しく前に進む星野ワールドが展開されるので、そこは安心してほしい。

ただ読後、どうしてもこの作品を手放しに支持できない違和感がどうしても残った。

それが何なのか2日ほど考えたのだが、恐らくそれは作者がある程度切支丹サイドに軸足を置いたため、少なからず「殉教」を美化してる点にあるのではないか.....と思うに至った。

その時の為政者や宗教の指導的立場の人間が、組織の都合とかで末端や中間層に対して、死を正当化したり美化する行為は、現代社会において決して認めてはならない行為だと思っている。

私の中では、キリスト教であれ、仏教であれ、神道であれ、宗教に殉じる死を美化した時点で、すべてそれは「カルト」である。

作者はそんなつもりはないのかもしれないが、ちょっと「殉教」をロマンチックに捉えすぎた嫌いがあるのはやや残念だ。

ただ、私にとってあまり馴染みのなかったこの切支丹の時代が、世界史の動きと連動してとても興味深い時代であることに気づかせてくれた本であり、結論から言ってやはり星野博美は面白い。

自宅のPC環境アップグレード(買い替え....というより買い増し)

きっかけ

Google Chromeが、平成28年3月末日を以て Windows Vista のサポートを終了した。

Web環境のセキュリティがかなり不安になるので、これを機に自宅のPC環境の変更を検討することにした。

 

現在の環境および用途

現在の自宅のPCは、既に丸7年使っている DELL のミニタワーマシン。
主なスペックは以下のとおり。

  • プロセッサ Intel® Core™2 Duo CPU E7400 @ 2.80GHz × 2
  • グラフィック Gallium 0.4 on AMD RV620 (DRM 2.43.0, LLVM 3.6.2)
  • メモリ 4GB
  • OS Windows Vista

完全にふた昔前のマシンである。

 

そして主な用途は以下のとおり。

  • Web閲覧(SNSはてブ、ニュースサイト他)
  • ブログ執筆
  • 音楽視聴(Google Play MusicRadiko他)
  • 年1回の年賀状印刷(表裏)と履歴管理
  • ランニングデータ及び体重・体脂肪の管理

PCでゲームをする趣味は全くないので、7年オチの中古マシンでも処理能力的には全く不満なし。

要はセキュリティの問題だけなので、いかに安価に済ませるか.....というのが最大の命題となった。

 

検討

まず、最もコストのかからない方法として、現行マシンのまま Windows から 、フリーかつオープンソースな OS である Linux ディストリビューションの中で、もっともメジャーな Ubuntu に乗り換えるという方法を検討。

  ⇒ Ubuntuとは | Ubuntu Japanese Team

 これなら基本コストゼロで最新の OS 環境が手に入る。

素人の割には UNIX 系 OS との付き合いは長く、20年以上前に DOSモバに Pocket BSD 入れてMule使い倒したりしていた。(これ語るとキリがないのでサラッと流すw)

また現行マシンに買い替える前にも、寿命間近のWindowsマシンを ubuntu に入れ替えて、それなりに快適に1年くらい使っていた。

しかしその時は、ubuntu では年賀状の宛名印刷に全く対応できないことが判明したため、結局その時もWindowsマシンに新たに買い換えた経緯がある。(当時は年賀状200枚以上書いていたので、それなりには切実な問題であった)

今般検討にあたり、あれから7年以上経っているので、少しは状況が変わっていればと思い、色々と調べてみるが、結局は当時と状況は殆ど変らず、Windows並に手軽に毛筆体で宛名印刷することは、Linuxでは全く望めないことが判明。

加えて、いま使っているランニングウォッチ(ガーミンFA220)で、Linuxではウォッチ側のソフトウェアのアップデートが出来なことが判明。(ランニングデータの連携はスマホアプリのBluetooth接続で可能)

という訳で、やはり Windows 環境を完全に捨てることは難しいという結論になった。

 

だがしかし、デスクトップのメイン機を Window マシンで買い換えるとなるとかなりの出費になってしまい、これでは我が家の大蔵大臣(死語)に、具申すらし辛い。

そこで色々と考え取捨選択の結果、メイン機は現行マシンに ubuntu をインストールして継続使用、サブマシンとして Windows ミニノートを購入し、トータルコストを抑えつつ、加えてモバイル環境の向上を図ることとした。

 

機種選定

安さだけで言えば、ASUSあたりでWindows10 の11インチが3万円切るところから購入できるが、準メイン機種として使うにはCPU、メモリ、ストレージ容量ともにやや不安が残る。

そこで色々と調べた結果、税込みで5万円を僅かに超えることとなったが、スペック的にやや余裕のある以下の機種にした。

www.dell.com

実は本機種、「エントリー」モデル(3万4980円/税別)と、「エントリー・プラス(128GB SSD 搭載)モデル」(4万9980円/税別)の、2つのラインアップを展開している。

「エントリー」モデルは、Celeron N3050(1.6GHz/最大2.16GHz、2コア/2スレッド、2次キャッシュ2MB)/メモリ2GB/32GB eMMC搭載。

「エントリー・プラス(128GB SSD 搭載)」モデルは、Pentium N3700(1.6GHz/最大2.4GHz、4コア/4スレッド、2次キャッシュ2MB)/メモリ4GB/128GB SSD搭載。

前者の「エントリー」モデルはCPU、メモリ、ストレージともに、準メインマシンとして使うには明らかに実力不足。

ここは15千円の差なので迷わず「エントリー・プラス」モデルを選択することとした。

詳細は以下の記事に詳しい。

www.itmedia.co.jp

 

運用等

右がubuntu に入れ替え継続使用のデスクトップと、左が新規購入のWin10サブノート......ま、見ればわかる。

我が家の2階に2畳ほど書斎コーナーがあり、デスクトップ機はそこに鎮座している。

1階のリビングは、嫁がほぼいつもTVを見ているので、私はここに篭ってこれで音楽聴きながら Web巡回したり、ブログ書いたりしている。(私は朝の30分以外めったにテレビは観ない)

ただこの書斎コーナーは寝室の1コーナーなので、嫁が寝た後とか、嫁が起きる前の早朝(年寄りは朝が早い)は、嫁の安眠を妨げるので、今まではPCを使うことが出来なかった。

今般サブノートを手に入れたので、そのような際には1階ののリビングでサブノートを使うことが出来るようになった。

 

あと、スタバで意識高い系() のフリを、してみたりも出来るようにもなったw

 

運用のキモは以下の2点。

サブノートは Win10 マシンなので、問題なくスマホと連携した上記環境を構築できた。(それにしても Win10 のスタートメニューは使い辛い)

ただ、ubuntu 環境での上記を構築するには、直接的にも間接的にも様々な苦労.....という程ではないにせよ、色々と手間暇がかかったので、それについては稿を改めたいと思う。

 

まとめとしては、5万円少々のコストで最新のOS環境と、そこそこのモバイル環境を、それぞれ連携の取れた環境で構築するることができたので、それなりに満足感の高い選択が出来たのではないかと思う。

【読書記録】虚人の星(島田雅彦)

細々とではあるがこのブログも始めて10年が経ち、かれこれ2000以上の記事を書いてきた。

その2000以上の記事のなかで、政治関連の話題に触れたものはひとつもない。

このブログを始めるもっと前に、地域コミュニティーのメーリングリストを主催していたことがある(たぶん5年以上は続いた)のだが、その際も「政治と宗教」の話題は厳禁というルールを、頑なに守り続けた。

この手の話題は落としどころがないので、フレーミング(今風に言うと炎上?)が起こると、収拾がつかなくなるので面倒臭い......というのが、唯一の理由である。

だが今回ついに、内容を事前に確認せずにこの小説を手に取ってしまったがために、前例を違えざるを得なくなってしまった。

虚人の星

虚人の星

親子2代にわたり中国のスパイとなった外務官僚を主人公とした、いかにも島田雅彦らしい小説だ。

軽い話を小難しく書くのが彼の作風だが、本作も中国の脅威、米国の立ち位置などリアリティ溢れる設定をベースとしつつも、小説的面白さに富んだ作品となっている。

結局、主人公は日本国を裏切るのか、はたまた国を救うのかがこの作品の読みどころになるのだが、ラストで一気に本作の政治的主張が展開されることになる。


(ここからややネタバレあり)
本作の主張は、「右」とか「左」といった政治的イデオロギーに主眼は置かれず、あくまで「護憲」「不戦」「平和」にある。

昨今「護憲」を論じるとサヨク呼ばわりされる風潮があるが、全くをもってナンセンスである。

本作中でも触れているが、天皇陛下も、そのお言葉の中で「護憲」「平和」に言及されることが多い。

あまり多くを語ることは避けるが、私も憲法改正は当面不要であると考えるし、戦争は絶対的に避けなければならないと考えている。

憲法前文は実に美しい名文であり、力強く「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」を謳いあげている。
もちろんそれは理想論なのかもしれないが、それを目指すことは絶対的に止めてはいけないと思う。

あと、少なくとも小説家やミュージシャンは、いつでも理想を掲げ主張し続けてていて欲しいと思う。

体制に迎合する言論人やアーチストなんて糞食らえだ!


そんな主張を含んだ作品ではあるが、小説として面白いのは間違いないし、エピローグもなかなか洒落ていて好きだ。
島田雅彦、渾身の一作だと思う。

第1三半期の振り返り(PDCA.....ってかw)

今日から5月で、早くも2016年も三分の1が終わった。

ちょうど区切りなので、今年の目標の進捗を確認するとともに、着実に目標を達成するため、必要があれば達成に向けた計画の修正を検討したいと思う。

 

年頭ではないのだが、今年立てた(仕事以外の)目標は2つ。

その一つが「年間100冊の本を読んで、その読書記録をブログにアップする」というものだ。 

tamu2822.hatenablog.com

 4月までの4ヶ月で読んだ本は28冊........年間100冊読むには、単純割りでこの時点で33.3冊必要。 前年は同時期で29冊、年間で92冊だったことを考えると、明らかに目標未達ペースだ。

特に4月になって月間5冊と、極端にペースが落ちているのが進捗未達の主な原因だが、これはプロ野球が開幕したせい。

メインの読書タイムである帰りの通勤時間帯が、ラジオでの野球観戦時間とダブるのだ。

これは「仕事と私、どっちが大事なの?」的なある意味仕方のない(?)ことなので、朝の通勤タイム(主にネット巡回の時間)を読書に回すなどの工夫が必要だろう。

このブログへの読書記録のアップは一応出キチンと来ているので、あとは読むのみだ。

好きなことに割く時間を増やそう.....という話なので、前向きに取り組んでいきたいと思う。

 

もうひとつの目標はダイエット..... 「体脂肪を年末までにグロス9キロにする」だ。

tamu2822.hatenablog.com

4月を終えた実績は以下の通り。

相変わらずブレが激しいので、前回同様に月ごとの平均値にする。

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こちらはなかなか順調である(笑)

 

因みに、目標とは直接は関係ないものの、ダイエットと補完関係にあるランの方は以下のとおり。

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今年に入ってからはコンスタントに月150キロペース......全盛期の半分で完全に「なんちゃってランナー」に成り下がっているが、通勤時間が長い上に休みも不規則でなかなか思うように距離が伸ばせない。

夏に向けてもう少し伸ばすにしても年間で2000キロが関の山......歳も歳だし、これくらいのほうが却って健康的なのかも(笑)

 

PDCAは"Check"が大事!......って、いつも社長に怒られているが、仕事以外でのPDCAは意外と楽しい。